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October 19, 2019

三学会合同国際研究集会 パネル発表のお知らせ




みなさま、大変ご無沙汰しております!!

ブログの更新は滞っておりましたが、
みんな元気に研究に励んでいました^^

さて、本日はみなさんに大切なお知らせがあります!!

このたび以前に、本ブログで公開した座談会「多和田葉子『ボルドーの義兄』」(http://nichidai-daigakuin.blog.jp/archives/2017-01.html)に参加していた私、福尾(現、日本大学人文科学研究所研究員)とUCLAのジュリア・クラークさん、そして上海師範大学に勤めていらっしゃる陳晨さん、同志社大学外国人特別研究員の沈正明さん、さらにコメンテーターとして高榮蘭さんにご参加いただき、11月23日(土)、24日(日)に開催される三学会合同国際研究集会でパネル発表をすることになりました!

研究集会の詳細については公式HPをご覧ください↓
https://irc2019jpml.wixsite.com/home
 
私たちのパネルの詳細を以下に掲載します。

〈パネルタイトル〉
「『境界の政治』を問う
    ーキャノン・アイデンティティ・翻訳ー」

〈日時・場所〉
11月24日(日)10:00〜12:00 二松学舎大学1号館
2階202教室(会場14)

〈パネル要旨〉
 第4次産業革命という言葉が勢いを得ている現在、様々な方向から、人・言語・文化・情報の越境が繰り返されている。また、それと連動する形で、領土的、文化的、言語的な境界の錯綜が可視化されつつある。このような状況において、「境界の政治」をめぐるトリン・T・ミンハの言葉は示唆的である。ミンハは「境界を曖昧にすることからくる可変性」よりは、「境界を動かし、変更する時に働く力」の方が重要だという。それと同時に、境界をめぐるダブル・バインドを引き受けるのではなく、境界そのものに留まりながらも、それを固定させないための運動の大切さを強調している。これらの議論を踏まえ、本パネルでは、現在の日本文学研究が置かれている領土的、文化的、言語的な状況を意識しながら、「境界の政治」の問題について考えるための手がかりとして、女性表現者たちによる文学的な実践を捉え直す作業をしたい。
陳は、華語文化圏出身作家の小説に注目する。なかでも、国際結婚小説である楊逸『あなたへの歌』と複数の国の間で自らのことばを模索する若者たちの姿を描く温又柔『真ん中の子供たち』を取り上げる。いずれも、境界そのものに根強く身を置き、両側にいる他者との接触のなかで、空間と時間を横断して生じる共生=連帯の絆に気づくヒロインたちの物語である。本発表では、二つの作品の表象分析を通して、排除・隔離を生み出しやすい「境界の政治」に抗する読みの倫理を見出し、文学テクストの表象分析と境界の政治をどのように接続できるのかについて考察する。あわせて、同時代の日本語文学における境界的物語の表象の可能性について議論したい。
 福尾は、日本とアメリカを往復するなかで創作活動を続けてきた伊藤比呂美の最近作『切腹考』を取り上げ、ジャンルのアイデンティティや「翻訳」の問題について検討する。このテクストでは日本の死の儀式である「切腹」の話を入り口に、森鷗外のテクストがいま・ここに再配置され、それを媒介としながら翻訳―文体などの問題が語られる。その一方で、同時期に起きたISILによる日本人斬首事件や熊本地震、夫の看取りなど、一見するとつながりのない様々な出来事が接続され、非連続なエピソードが配置されている。こうしたテクスト全体の構成や文体から、言語的、文化的な「境界の政治」の問題について考えたい。
 クラークは、言語とジェンダーの視点から「マイノリティ文学」や「日本語文学」といったジャンルの定義を捉え直したい。猪飼野という大阪の在日朝鮮人密集地で行われた文学活動の実態を見ると、既存の政治的言語思想に沿わない文学的表現が多く出てくる。この発表では宗秋月「文今分オモニのにんご」と元秀一「猪飼野物語」「猪飼野打令」など、猪飼野に住んだ一世のオモニたちの「猪飼野弁」に着目し、日本語と韓国・朝鮮語のはざまに存在する新しい文学的言語を作り出そうとした作家たちを取り上げ、現地の言語ポリティックスについて論じたい。
 沈は、深沢潮『緑と赤』、崔実『ジニのパズル』などを通して、民族的少数者とその他の複雑なアイデンティティとがいかに錯綜するのか、さらに日本語文学が様々な境界に対しどのように働くことができるかを考える。グローバル時代に突入し、そのなかで民族的なアイデンティティではくくりきれない共同性を模索しようとする動きもある一方、そのように簡単に「境界」を超えることに対する批判もある。本発表では、こうした状況を踏まえ、少数者文学がナショナルな領土性を祖保とする「日本―語―文学」を豊富にする要素として加えられることを警戒しつつ、他のアイデンティティや共同性と接続できる方法を模索する。

以上。


 素晴らしい方々と一緒にパネルを組むことができて私自身とても興奮しています!
 こうした組み合わせで発表することができる機会はなかなかありませんので、要旨をご覧になってもしご興味がありましたら、ぜひ聴きに来てください。大変励みになります!
それではまた!!



nichidai_daigakuin at 19:27
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